Céléjour
香りのこと

自分の香水の香りに気づかなくなるのは、鼻が学習している証拠

出がけに香水を一滴。今日はうまくいく気がする、そんな朝でした。けれど、お昼を過ぎたころには、もう自分では香りに気づかなくなっている——そんな経験はないでしょうか。消えてしまったのだろうかと、袖口に鼻を寄せてみてもよくわからない。ところが、隣に座った同僚からは「今日の香り、素敵ですね」と声をかけられる。自分の香水の香りに気づかなくなるのは、香りが消えたからではありません。

香りに気づかなくなるのは、嗅覚順応というしくみ

同じ香りに長くさらされていると、嗅覚はその情報を「もう知っている」と判断し、少しずつ反応を鎮めていきます。嗅覚順応と呼ばれる、ごく自然なはたらきです。鼻がさぼっているのではなく、むしろ新しい情報を逃さないための、精巧な仕組み。香水をつけた瞬間からずっと同じ強さで香り続けていたら、変わりゆく風の匂いも、雨の気配も、感じ取りにくくなってしまう。だから鼻は、動かないものからそっと手を離し、次に来るものへと向かいます。自分にだけ香りが薄く感じられるのは、それだけ長く、その香りと一緒に過ごしてきた証拠でもあるのです。

香りをリセットする、三十秒の小さな方法

確かめたいときのために、小さな方法をひとつ。香水をつけていない肌——手の甲や、肘の内側あたりに鼻を近づけて、ゆっくり息を吸ってみてください。無香の肌の匂いをひとつ挟むことで、順応していた鼻が静かにリセットされ、三十秒ほどで、消えていたはずの香りがふたたび輪郭を持って戻ってきます。香水売り場でよく見かける「コーヒー豆を嗅ぐ」という習慣は、実はあまり根拠がないという報告もあります。コーヒーの香りもまた新しい情報のひとつにすぎず、鼻を休ませることにはならないからです。鼻が本当に落ち着くのは、もう十分に馴染んだ自分自身の肌の匂いか、香りのない外の空気。ときどき鼻を、何もない場所へ連れ出してあげてください。

香りは、つけた本人のためだけにあるのではありません。自分では気づかなくなったあとも、隣にいる誰かのところには、変わらず静かに届き続けている。今日の自分を整えるための一滴は、たとえ本人がその存在を忘れてしまっても、役目を終えたわけではないのです。私たちは、愛に美しいかたちを与える。香りもまた、贈った側が気づかないところで、そのかたちを保ち続けています。慌てて足しなおす前に、少しだけ、鼻を休ませてあげてください。

参考:Grosofsky, A., Haupert, M. L., & Versteeg, S. W.(2011)「An Exploratory Investigation of Coffee and Lemon Scents and Odor Identification」Perceptual and Motor Skills, 112(2)